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神社仏閣

龍照院

十一面観世音菩薩像

蟹江山常楽寺龍照院の御本尊十一面観世音菩薩像は、寿永元年(1182年)仏師僧教円によって造立されたといい、国の重要文化財となっています。

十一面観音は、救済を求める人々の前に、さまざまな姿に変化して衆生を救済される33応現身と説かれています。

この観音様の特徴は、頭部に11の顔を持ち、前の三面を慈悲相、左の三面を瞋怒の相、右の三面は白い牙が上に出る相、後ろの一面は暴悪で大笑いの相、頭上の一面は阿弥陀如来の面です。四方八方に顔を向け、人々の願望に応じて下さるのです。

龍照院の観音様の目は、半眼で、限りない優しさに満ち溢れ、微笑んで見えますが、心のありようで仏様の表情が変わるように見えるのです。重厚な質感や、衣文の深い彫りなど、その容姿は、みずみずしい豊潤さに満ち溢れ、宗教的な創造の結晶美であり、卓越した想像力を与えてくれます。

 

大日如来坐像 巴御前

木曾義仲菩提を弔うために巴御前が安置した仏像と言われています。
  巴御前は、木曾義仲とともに幼少のころから生涯をともにし、木曾義仲が平家追討の兵を上げたとき、義仲に従って上洛した女性です。
  武術を心得え、華麗で美しい女武者だったといわれ、義仲が危急のときには、身の危険をおかしながら、気迫のなかに悲哀さえただよわせていたそうです。
  元暦元年(1184)正月21日、粟津で義仲最期のとき、巴は、主君義仲と一緒の死を望みましたが、義仲は武人の名誉を思い、巴に落ち延びるように言いました。主君義仲の悲劇的な最後を見届けることもできず、義仲の命に従い戦場を離れる巴は、義仲に一人静かに自害させ、大将にふさわしい最期を全うさせるため、死よりも苦しい生を生きなければならなかったのです。
  信濃へ落ちる際、蟹江町の常楽寺は義仲が建てた寺であることを知った巴は、この寺に如来坐像を安置し、髪を下ろして尼となり、名を「東阿禅尼」と呼び、義仲の菩提を弔ったと伝えられています。
  〈須成字門屋敷上〉

天平5年に行基菩薩によって本尊に十一面観世音菩薩を奉安し創建されたといわれています。

木造十一面観世音菩薩像
優しい表情の観音像で、藤原時代末期の優れた技法が生かされています。
胎内に墨書の銘があり、国の重要文化財に指定されています。

Information

住所 〒497-0031 愛知県海部郡蟹江町大字須成字門屋敷上1364番地
TEL (0567)-95-2917
アクセス JR関西本線蟹江駅下車、北西へ1km徒歩15分

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