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蟹江神明社

蟹江神明社

永享年間(1429~1441)北条時任が蟹江城築城の際、城の本丸南の守護神として清洲から御薗神明社を迎えて祀りました。
天正12年(1584)蟹江合戦で兵火に遭い、すべてが焼失し、元和5年(1619)に社殿を再興しました。
江戸時代には、神明社の蟹江祭りが盛んで、享保2年(1717)当時の尾張藩主であった徳川継友が神明社の祭りを名古屋城へ招きました。近隣町村から総勢約2千人が宰領を先頭に、豪華な馬具で飾った「馬の塔」や華やかな衣装の「道おどり」などが行われたと言われています。
現在、毎月9月の最終土・日曜日に、神事や祈祷が行われます。また、祭屋形や祭囃子を神明社に奉納した後、蟹江本町の各町内を巡行します。
近年、道おどりが一部復活しました。

社伝によれば、北条時任の祖父、時行が海路台風に遭い、暗闇の中一条の太陽が射す奇跡により、一命をとりとめました。(南方記伝太平記)伊勢神宮のおかげと、天照大神を尊び敬っていたので、その孫、時任が城を築くにあたって、天照大神を祭神として神明社に祀ったと記されています。
その後、天正12年蟹江合戦で、全村焼失し、翌年の天正大地震で城は崩壊し氏子は離散、潅木が茂るに任されていました。
元和元年、徳川氏が天下を統一、蟹江の住民も氏神様を崇敬する心が戻り、神明社跡地の荒地を整備し、元和5年に社殿を再興した棟札があります。その後、享保2年、徳川通顕が蟹江祭りを名古屋城へ招待しました。
神明社は、蟹江本町地区の鎮守で、地域の安寧と五穀豊穣を願う神事が春秋行われます。
現在、伊勢神宮の払い下げの用材で、鳥居の修復が進められています。
毎年、大晦日から元旦にかけては「かがり火」を焚き、午前0時から神明社の拝殿では新年の祈祷があり、元旦の午前中は神酒が振舞われます。

Information

住所 〒497-0040 愛知県海部郡蟹江町城二丁目

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