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歴史・文化

神田鐳藏 金融界の風雲児

明治5年須成村市場に生まれました。父は酒造業者であり儒者であった神田清三郎で屋号は紅葉屋でした。一時は家業を継いだが、明治26年名古屋株式取引所の仲買人となりました。
明治32年上京し、翌年、現物専門の紅葉屋を開設し、公債取引に力を注ぐとともに、有価証券現物市場の独立を提唱、東京証券取引所の設立に尽力しました。
日露戦争のときには、海外からの資金調達に貢献し、また日露戦争後は株式市場で巨利を博しました。
明治43年には、逗子開成中学が七里ヶ浜ボート遭難事故で大きな負債を抱え廃校の危機に陥ったときに、負債の一部を肩代わりし窮状を救うなど教育にも熱心でした。
大正7年、神田銀行を設立し、倉庫、土地、生命保険、信託などの多角経営を展開し、全盛期には浮世絵の海外流出を防ぐために収集した「浮世絵風俗肉筆名作コレクション」別名、神田雷藏コレクションが有名です。しかし、昭和2年の金融恐慌により破産しました。
昭和9年12月8日、63歳で逝去、偉大な人物で、須成善敬寺境内に渋沢栄一筆による家系碑があります。

碑全体像

Information

住所 〒497-0031 愛知県海部郡蟹江町須成下之割南1225(須成善敬寺境内)

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